お仕事終わりがまだまだ明るい最高のバンクーバーですね。そんな5月の水曜日に、ばんてらでは再び学びの対話が行われました。

いや~つくづく思いますが、ばんてらの良いところの1つは「経営者同士」「同業者同士」「同じ仕事」「同じ年代」など限られた枠の中の人たち同士が集まり学ぶ場ではなく、そんな垣根を飛び超え、経営者・社員・自営業・学生の世代と背景と経験の違う人たちが1つのテーマについてそれぞれの視点を話しまた聞くことのできる、とても 風通しの良い学びの場 であるということ。

ここにいるみなさん、日本を離れてカナダで働き生活をすることを選び、時には日本という社会や文化の弱みやわずらわしい面から一線を置きたいと思っちゃう時もあるかもしれません。
ただ、どこで誰と何をしていたって一線を置いたって、わたしたちが日本人であることは変わることがなく、だからこそやっぱり日本にかかわる良い話や、らしい強さや良さを垣間見たり聞いたりすると、心がキュッとするものだと思います。

今回のばんてら、テーマは「ニッポンの流儀、シャイで目立たないことでよいのだろうか?」。あえて日本の弱みにスポットライトを当て語り合うことで、その弱みならではの強みを活かすことへ自然と話が広がっていったようですよ~。

ではさっそく、日本では専門職の社会経験がある相原さんのレポと横からコメントを見てみましょう。

参加者の自己紹介に始まり、第一回目の振り返りを行った上で、今回のテーマ「ニッポンの流儀、シャイで目立たないことでよいのだろうか?」ついて話し合いました。まずはカナダで生活している中で、日本人はそれ以外の国の人からどのように見られているのか、彼らとの違いは何だろうかという事を参加者の経験談を踏まえて検討した。

ふむふむ、確かに他の国の人からどう見られているのかって、ちょっと興味ありますよね。そして他の日本人の人たちって、そのことをどう感じているのかってのも興味あるわあ。

🎬 カナダで仕事をしていると、自分では当たり前だと思う事が評価される。

例えば時間厳守や整理整頓など、仕事をする上で敢えて言われなくても行うべき事を自ら実践している事がまるで特別な事かのように評価される。これは働くという文化の上で、日本とカナダでは認識の違いがあるのではないかと検討された。しかしこの認識の違いを越えて、スタッフの十分な教育をする事で日本人が考える「当たり前」を他の国の人達にもわかってもらえる事が実例を通してわかった。

🎬 他の国の人からどのように見られているのかという点で、私たちが普段当たり前に行っている事が評価される一方で、日本人は「No」と言わないという評価を受けているという現状もあった。仕事に対して真摯に向き合い、高品質の仕事を行うという姿勢が、他者の都合で仕事を押し付けられるという事に繋がっているのかもしれない。

🎬 また、カナダで他の国の人を管理(マネージメント)する上でのエピソードも紹介された。

薄口醤油ではない日本人オーナーの思想をカナダで働く人へ伝えて事は容易ではなく、日本で行っても大きな問題にならない事が、カナダでは大問題に発展していく事がある。これらの背景にはやはり日本とカナダの文化の違い、さらに多民族国家であるカナダ国内でも各民族毎に異なる文化を持っている事が影響しているようだ。

🎬働く姿勢について日本人と他の国の人との相違、また現在の傾向についても話合われた。

日本人の風習として、一つの仕事に長く携わる、またそれが評価されるという事があるが、これに関しては他の国との相違というよりは個人や世代ごとの思想が強く影響されているように感じられた。現在の日本人の傾向として、男性の方が安定思考で海外に出たがらない。海外に出て何かを成し遂げようという意欲が感じられず、日本の国力の低下さえ危惧された。

海外に限らず何かを成し遂げるには運の存在は欠かせない。しかし多くの「運」を掴んで来た成功者たちは皆「運は自分で掴みにいく物、待っていても来ない」と言う。これに関しては運を回転寿司に例え話合われた。自分は何を食べたいのか分かっていないと、目の前のネタには反応できない。一度過ぎたネタは誰かが取り、2度と同じ物は流れ来ない。大切な事は、自分は何がしたいのかという事に対して具体的に認識する事、そして常にアンテナを広げてるという姿勢である事のようだ。運という話に続き、「出会い」についても話合われ、この出会いは人生の可能性を広げ、次への縁に繋がっていく物と表現された。

ざ、斬新すぎる例え!!あまりにわかりやすくて、持った湯呑みをバッタと落とし小膝たたいて笑いました。💡💡💡

日本人は人見知りなのだろうか?ということも検討された。何事においても自発的に発言や質問をするのはアジア人以外で、特に日本人は積極的に自ら手を挙げない。日本人は間違うことを恐るから、自ら発する言動については確信がもてない場合は黙る傾向にあるのではと考えられた。間違うことや恥じることを恐れる人種だから、安心を得るために周りに合わせる傾向にあるのかもしれない。

人と比べたり、人から評価されたり、「恥ずかしい」はとても社会的な感情ですよね。日本の社会に自分と人を比べることが多いということですかね。

この日本人という民族の本質を絶妙に言い当てている著書(菊と刀)も紹介された。

この本は一度も日本に来た事のない著者が、日本人とはどのような人種であるかを検討した内容で、私たち達を客観的に見る上ではとても興味深い内容だ。この本の中で日本人は外面を重視し、白人は内面を重視していると分析されている。日本の文化を見ても、「見た目」というものは今でも重視され、贈り物もその包み紙が有名店である事がその中身よりも大きな評価となっている。また名刺をとっても、日本の名刺は社名、役職、名前という順で、それらの肩書きが個人(見た目)を引き立たせている。一方、他の国のビジネスカードは本人の名前が一番強調されているように、その人自身が一番重視されている。

う~ん、ちょっとこのお話、わたしとしては物申したい!みなさまどう思います? でも、そうなんです。こう言う三者三様な考えこそ大歓迎なのがばんてらの醍醐味。人それぞれの考え方感じ方に「間違い」はないから「恥ずかしい」もないのがばんてら。

最後に、ボールドな日経社会を作る上で、私たちはどのように振る舞うべきなのだろうか?

日本人はシャイで目立たないかもしれないが、必ずしも目立つ必要はないのかもしれない。

一番大切な事は自己主張する事であり、この主張をしない限り相手に自分がどのような人間かを分かってもらえない。薄口醤油は見た目と裏腹に味は濃い。私たちの目立たないが内に秘めているものを、見せびらかすのではなく、きちんと自己主張として表に出して行くべきなのではないだろうか。

カナダで生活している中で日本人という事で得をする事も多く、これらは先代から築き上げてきた日本人というブランドへの評価であり、この先このブランドが評価され続けて行くかは今の世代の責任となる。シャイでもよい、但し自分の意見を言える事が大切。そのためにはよく考える、自分のなりの答えを出すという事が大切である。これら「学ぶ」という事が日本を離れカナダで生きて行く上で、個人として、日本人として、自我を維持していく事に繋がっていくのだろう。

レポート 相原祐太

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