明日の朝、オンラインミーティングを予定している。
コロナ禍によるwork from homeが定着し、さらには日本とカナダに置く2社の経営をする私はコロナかどうかに関わらず、オンラインミーティングがコミュニケーションの根幹であるし、通勤という概念がなくなった今、ついでに勤務時間という概念もなくなり、太平洋時間の夕方以降は夜中までオンライン会議が続くような毎日となりました。
ですので、オンラインミーティングを予定していること自体は、「息をしている」と同じくらいの日常イベントではあります。
しかし、明日予定しているミーティングはいつものものとちょっとちがうのです。
それをとても楽しみできること、そのミーティングで久しぶりに顔を合わせる若い彼らとの出会いが、今の私を動かすエネルギーの源泉となっていることに改めて感謝するとともに、若い人と話すことが楽しみだなんて、私も年とっちゃったな、と苦笑いする次第です。
現在のポジションにつく前、私はとある国立大学に長く勤めており、国内・国外の大学オフィスにて、留学プログラムの設計・運営に関わっていました。そのうち、米国カリフォルニアオフィスで担当したプログラムは、米国大学での語学研修を中心としながらも、シリコンバレーってなんなのか、なぜ、世界中から人が集まってくるのか、というのが体で理解できる場所に連れて行ったり、現地で働く日本人、いわゆる絵に描いたようなグローバル人材と直接対話するイベントなどを組み合わたりして、英語に加えて、かの地に息づく起業家精神を学ぶプログラムでした。
当時は歴史的な円高。
45人定員のプログラムに数百人が応募してくるような時代で、公平を期すためにやむなく学校の成績の良い学生から順番に選抜することになりました。ただでさえ優秀な国立大学学生の中から、最も真面目に勉強をする学生、まるで透明な上澄みのような学生たちが(その多くが生まれて初めて取得したパスポートを握って)憧れのシリコンバレーにやってくることとなったのです。
「これ食べても良いんですか?」
「学校が終わった後、ここに行ってもいいですか?」
一挙一動に許可を求める、手のかからない彼らの全体的な印象は、
- 主体性に欠ける
- 自分の欲望を見失っている(何をしたいのか、何になりたいのか?)
- リスクを取らず、人前で失敗したり、恥をかくことを嫌悪している
というものでした。
私のミッションは、こういった学生に、彼らがシリコンバレーにいるたった30日でどれだけ変化を与えられるかと言うものでした。
たった30日。
もっと長ければ、違ったやり方もあるのですが、私が選んだ方法は「彼らに絶対的な安心感を与える」と言うもの。
課題の遂行など、プログラムの根幹にあたること以外「全て」を徹底的にサポートしたのです。
到着その日に宿泊したホテルで熱が出た、と言えば午前2時に水と解熱剤を持って駆けつけ、
ロックしていた自転車の前輪以外全て盗まれた、とタイヤをぶら下げて途方に暮れる学生を連れて盗難届を書き、チップ込みのツアーでチップを請求された!と困惑する学生と、ドライバーにもチップを払え、と腹を立てる現地ツアーガイドの間に入り、バスを待てずに歩いて帰ろうとして迷子になった学生を捜索し、学生とウマの合わないホストマザーの愚痴を聞きながら食事メニューの改善提案をし、酔ってセクハラ行為をしたホストファーザーには断固立ち向かい。。。。
そうするとどうなったか。
「失敗しても何とかなる。ホールさんに相談すればいい。」と、彼らは水を得た魚のように新しいことに挑戦し始め、見たこともない場所を見て、会ったこともない人と話をした彼らの目がみるみる輝き始めたのです。
殻を破り、世界の広さを体で感じ、自分の可能性を認識し始めた彼らの成長を一番近くで見届けることは、私にとっても鮮烈な体験となりました。
合計250人と短期間ではあるものの信頼関係を築き、母のように我が子を無事に社会に送り出したような満足感でした。
さて、明日の朝に予定しているオンラインミーティングの話に戻ります。
そのプログラムやその後に関わった別プログラムに参加した学生達が、東京で集まると言うこと。彼らから「会いましょう!」と言うメッセージとともに送られたミーティングURLに接続する、明日の朝が楽しみなのです。
当時大学1−2年生だった彼らは既に社会人に。日本を外から見る経験をし、それでも日本で仕事をすることを選んだ彼らが支える日本の未来は、決して悪いものにはならない、と思うのです。
企友会理事 ホール 奈穂子