つい最近気がついてちょっと嬉しかった話です。
顔に似合わずとても過敏な気質で、さらに「人の顔色を伺う」とはもうわたしには無意識の反応で癖であり、子どもの時からそうでした。ただおかげで人の気持ちを汲み取る、その奥にあるものも聴いて心を向けたりできるようになったのは、間違いなくこの気質と癖のおかげです。
それを活かすことができたのがコーチングの仕事でした。コーチングを学び少しづつクライアントが増え、中でもグループでのワークショップは参加者とその場で味わう変容や学びにとてもやりがいがありました。
自分の体調の変化に気がつきはじめたのは7, 8年ほどたったころでした。呼吸困難・胸の痛み・度重なる腹痛・不眠、周りの大きな音や急な動きへの動揺・脅迫感などさまざま。心臓や肺の精密検査をしても問題はみつからず、ただ父がパニック障害だったのでこれらの変調が心に起因するものなのかしれないと気がつくのには時間はかかりませんでした。
今振り返って良くわかるのは、仕事において持って生まれた性質とこの癖を大いに活用していた傾聴や相手との在り方は、プロのコーチとしては鍛錬が必要で、その不十分さに気づき、変え加え、時には評価をされたりしたり、そこには想像していなかった苦痛があり結果として私の場合はそういったことが自分で自分を否定していくことになってしまいました。全心身が疲弊してしまった。それによる体からの信号でした。
ちょうどその頃、コロナによるパンデミックが社会生活を大きく変え、そのタイミングでコーチングの仕事から距離をとることとなり、何かまったく別のことに意識をむけようと思い、始めたのがアートでした。パンデミックの産物で行きたかった美術学校にオンラインコースができ、初めてアートを学ぶ機会を得ています。最近は自分の描くものを人に見てもらうことも始めました。客観的な上手下手は別として、クリエイティブなことは子供の時から得意でした。今、絵を描くことが好きで人より少し上手に描けるくらいの程度ですが、それでもちょぴっとの自負心ともっと上手くなりたい向上心や好奇心が子どもの時と変わらず溢れ出る感覚を知れたのは嬉しいことでした。
ただ、描いたものを人に見せたり、クリエイティブな人たちとの出会いは自分の初心者ぶりをうんと見せつけられます。すると当然、みんなわたしの絵を見てどう思ってるんだろう?と気になります。
あれ、これってどこかで体験したことで、あのコーチングの時の「不十分さに気づき、変え加え、時には評価をされたりしたり」ですが、あの時と違うのは描いた絵を評価されたり、力が不十分であっても自分自身を否定することはしません。あの息切れや長く続く胸の痛みや延々と脳内で続く脅迫もありません。
もちろん未熟な出来に恥ずかしいとか、もっとうまく描けるはずなのにとか思いますし、これから何度も頭打ちを経験するだろうと思います、でもそれは自己否定ではなく、もっと練習したい学びたいもっとたくさん描きたいワクワクする気持ちを生んでいて、その違いに驚きです。
ここでタイトルのNaturalなのかGoodなのか、に気づくのです。
コーチングで活かしていた気質や癖はわたしには “natural at it” で、生まれ持って備えていた、また生きるために培ってきたわたしそのものと大切な知恵で、評価されるものでもなければ、無理に変えたり、ましてや不十分だと思うものではないんです。
そして絵を描くことは “good at it” で、わたしの得意であることです。磨かねばならないことはたくさんあり、評価される・することも大切で、そして何よりも不十分なことは自己否定ではなくまだまだ上手くなれるのびしろがあると、嬉しく思えることです。
脳科学や人間行動学を学んだわけではないのでこの是非はわかりませんが、このことに気づいたことで、やりがいもあり自信を持っていた仕事をやればやるほど生じた体と心の違和感の理由がわかり安堵したのは事実です。いつかわたしの気質や癖を否定することなく、そこから “better at it” になるものが新たに見つけられたら、何かの形でわたしのコーチングを活かす未来もあるのかもと今は思います。
今もし、自分のことを不十分な人間だと葛藤を感じている人がいたら、”その足りないもの”は本当に良い悪い出来る出来ないと評価するものなのだろうか?と、一度良く考えを巡らせてみるのも無駄ではないかもと言ってあげたいです。
企友会理事 美香スミス