株式会社ギャビーアカデミー 代表取締役
ホール 奈穂子
BUSINESS DATA: 株式会社ギャビーアカデミー代表取締役 ホール 奈穂子氏。1977年福岡県出身。岡山大学卒業後文部科学省職員として九州大学勤務。同大の米国カリフォルニア拠点に赴任し、短期留学プログラムの設計、運営を担う。帰国後は文部科学省「大学の世界展開力強化事業」採択プログラムの設計、海外大学とのダブルディグリープログラム設計、インバウンド及びアウトバウンド双方において学生支援を行う。シリコンバレーを舞台にした留学プログラム、東南アジアトップ大学との合同プログラムを通して300名を超える日本人大学生を支援。参加学生は国境を超え、内に向いていたマインドセットを改革し、自身の殻を破ろうとするが、それを阻むのが英語運用能力の低さであった。彼らが国際的に正当な評価を得て自己実現をするためには、他国のトップ大学学生と同様の水準で英語を話せなければいけない、という強い思いから計16年間勤めた国立大学法人九州大学を退職し、2017年にカナダ法人Gabby Communications International Inc. を共同設立しCOOに。2020年に日本法人株式会社ギャビーアカデミーを設立し、代表取締役社長に就任。世界の人々が言葉を共通し国境を超えた価値共創に参画する未来をビジョンに、東京大学の酒井邦嘉教授と共同研究開発したメソッドで言語脳科学的アプローチで実用的な「話す英語力」を習得するプログラム「Gabby(ギャビー)」の開発をしている。
https://gabbyacademy.com/
2017年にバンクーバーで創業以降、東京大学との共同開発メソッドを実装したトレーニングシステム「Gabby(ギャビー)」の完成をさせ、6月には世界トップの英語発音評価AIを組み込むなどし、野村総合研究所、三菱電機株式会社、岩谷産業株式会社、株式会社サッポロビール、7-Eleven International 社、埼玉医科大学などが採用するギャビーアカデミーの代表であるホール奈穂子さん。息つく間もなく走り続ける彼女がその目で見たいと強く願うものとは?そして自身の仕事と家族への思いを前編・後編に渡って掲載していきます。
インタビュアー 多田隈 夏実
わたしには叶えたい理想の世界がある。
夏実: 奈穂子さんといえば、バリバリ働く女性としてのイメージが強いのですが、2人のお子さんのお母さんでもあって、今日はそのお仕事と子育てなど両面について聞いてみたいです。
ホール奈穂子さん(以下、奈穂子): そうですね、上が21歳で下が15歳なので、子育ての歴史は21年になります。私は大学時代に就職を決めて、そこから辞めずに産前・産後休暇、育児休暇を取って。今は英語の教育の事業をしてますけど、元々大学では農学部なんです。もっと遡ると、小学生ぐらいからすごく動物とか昆虫とか自然が好きで獣医になりたいと思って勉強してたんです。その頃の国立大学は前期と後期と2回チャンスがあって、前期で受からなかったら後期にチャンスがあったんです。前期で第1志望の獣医学部を受けて、後期では農学部を選んだんです。残念ながら第一志望の獣医に落ちちゃって農学部に行ったんですよ。
夏実: え~、そっちの話も聞きたいです!うちが農家で、すごくこの話を広げちゃいそうです。
奈穂子: え~!
夏実: うちはお米です。だけど兄が農業大学に行ったので本当にがっつり。
奈穂子: 本当!わたしは岡山大学の農学部に行って、畜産科学で乳酸菌とかミルクのサイエンスを勉強して、その流れで国家公務員試験を受けて、それから九州大学の農学部の文科技官として就職をしたんです。そこから事務官に転向して、合計16年の間に2人の子供を産んだんです。23歳で結婚して残念ながら26歳で別居・離婚となって、3年間のシングルマザーのあと、29歳の時に2番目の夫と再婚をして、30歳で2番目が生まれて。そして42歳で2回目の離婚、今またシングルマザーなんですよ。
夏実: そうなのですね。今の会社 Gabby Academy を立ち上げられたのはいつ頃ですか?
奈穂子: 今から6年前、九州大学を退職した後、まずバンクーバーで会社を立ち上げたんです。私には夢というか叶えたい理想の世界があって。日本の優秀な若い人たちが世界でもっと活躍できるように、彼らがもっと自由に自己表現をして世界を舞台にできるようになってほしいんです。そのために ”話す英語” のスキルをつけるのは、ドアを開ける鍵みたいなものだから。
夏実: そうですね言語の壁は大きいですもんね。
奈穂子: そう。鍵を開けた後はもちろん英語だけでは意味がないんだけれども、でも鍵がないとそもそもドアが開かない。だから話す英語を身につけて欲しい。
九州大学時代にカリフォルニアに2年間駐在していた時に今の共同経営者と出会って、その方もシリコンバレーで働く社会人の人たちが、もっと ”話す英語” コミュニケーションができて、日本以外の国からの人たちのようにこの地域でのエコシステムにしっかり入り込むことができたら、もっと日本人が活躍できて果ては日本の経済も良くなるのに、という同じ思いを持っていたんです。私は、当時学生の留学を支援していたので2人の理想がマッチして、そこで始めたのがこのGabbyという事業なんですよ。
夏実: それがきっかけだったんですね。
奈穂子: そうなんです。それでまずバンクーバーで会社を登記して立ち上げて、ここから世界に散らばる日本人の支援をはじめたんですが、日本にいながらも世界を狙う日本人にもサービスを提供したいと言うのもあって、それならばと2020年の2月に日本の会社を立ち上げてその代表に就任したんですが、いきなりコロナで…。会社を登記してすぐの3月にロックダウンだったから、もう大変だった。
夏実: どうでしたか?想像ではコロナ禍で需要が上がりそうな感じがするのですが。
奈穂子: そう思うんだけれどもね、私が自由に日本とカナダを行き来できて、サービスの宣伝とかマーケティングができていたらどうだったのかなと思うけれども、出張に行けなかったし、先が見えなかったし。
夏実: では日本の会社は立ち上げからずっとカナダにいらっしゃったんですか?
奈穂子: そう、ずっとこっちだったんです。もしコロナで渡航が制限される前までに、すでに日本でのGabbyの認知度が上がっていたら、それまで最寄りの英語学校に通っていたのをオンラインに切り替えた人たちに向けて販売することができたんでしょうけど、私たちはちょうどこれからと言う時だったので厳しかったですね。それでも何とか生き残って、今3年目になりました。
夏実: そうだったのですか。と言うことはお子さんたちも少し手が離れた状態での、新しい挑戦だったんですね。
奈穂子: そうです。上の子はバンクーバーに来た時が15歳、下の子は8歳でした。オムツを替える必要はなかったので手が離れてると言えば手が離れていたけど、やっぱり英語で学校生活を始めるという意味では、彼女らにとっても大変な時期でした。
自分の思いを持って仕事をする人間に君らもなってほしい 。
夏実: すごく聞きたかったことなんですけど、お仕事も今から頑張るぞと言う時期、そして子供たちもカナダに来たばっかりで、あっちにもこっちにも意識を割かなければいけない時、どのように時間を使っていたのか、あと何か大切にされていたことばあれば教えてください。
奈穂子: ちょっと失敗談になってしまうんですが、家族のケアができてなかったかな。
子供たちの精神的なサポートだとか、新しい学校に行く手続きとか、先生たちと面談をするとか、健康診断、成績表をちゃんと英訳して提出するとか、やらなきゃいけないことが沢山あって、それは仕事が忙しい中でも当然やりました。だけど全て完璧にできてましたかって言われたらやっぱり難しくって。
日本とカナダの時差があるので夜の時間も相当仕事しました。日中仕事して、夕方は子供とご飯を食べたり料理したり一緒に話を聞いたりっていう時間にしたら、夜9時から深夜1時ぐらいまでまた仕事をするのが毎日のルーティンでしたね。9時5時で仕事をして、子供のサポートをしながらバンクーバーの自然とか楽しいことを満喫しようと思うのは難しかったかな。
夏実: そんなすごいお母さんを近くで見ていたからこそ、きっと娘さんたちも過ごす時間が少なくても理解があったのでしょうね。
奈穂子: う~ん。外から見ると頑張ってるねって言ってくださる方もいるんですけど、当事者の子供たちにとっては、寂しい時間を過ごしてたと思います。ご飯も学校のことも最低限するけれども家族の団らんとかはほとんどなくて、テレビを一緒に見たり遊ぶとかそういうことは全然できなくって、2階に事務所と私の寝室があるんですけど、私は2階に上がって全然降りてこないっていう。
あと大変だったのは出張。コロナをきっかけにオンラインで仕事を進めるようになったとはいえ、やっぱり会って話をするのとは全然違う。会うと熱量と情熱を感じてもらえて、この人からだったら商品を買いたい、この人が作ったものならやってみたいって思ってもらえる。だから日本出張は結構しました。ただ、スタートアップなので経費も本当大切に使いたいので1回の飛行機代をできるだけ役に立てたくて、3週間とか1ヶ月とか長期になってたんです。そうすると10代後半だった長女に次女をお願いすることになってしまってました。いくら冷蔵庫に料理を作り置きしても当然足りなくなるので、娘たち2人でご飯を作ったりする日々があったし、私は向こうで夢中になって仕事をしていてふと気づいたら2、3日電話もしてなかったこともあって。だから全然褒められたもんじゃないです。
今その歪みは出ていて、時差のある中で、普通ではない仕事のやり方とか、外国に連れて来たこともそうだし、あまり一緒に過ごす時間が取れなかったこと、いわゆる普通のお母さんのすることをしてくれなかったこととか、結構言われます。子供たちの不満は相当あったと思う。特に下の子は離婚でお父さんと別れたことに未だ苦しんでます。無理のある仕事の仕方をしないと生活が維持できなかったっていう言い訳もあるんだけれども、それをやってしまった結果としての後始末はオンゴーイング。今子供たちからそういう感情が出てきてるんです。
夏実: 出せるようになってきたんですね。
奈穂子: そう、一緒にご飯を食べたい、みたいな可愛い甘えは言わないけど。しなかったことをママはこうしなかったって責めることでしか表現しないんですよ。今はそれに応えてあげていこうかなって思ってます。だってもうあと何年かだもんね。ここから何年かは、仕事も勝負時なのでもちろん全力でやるんですけど、子供たちとのことにもさらにフォーカスしていこうかなと決意してます。
夏実: 素敵です。やっぱりそういう反抗期っていうのは絶対に来ないといけないですよね。ではそんな中、今だからこそ子供達に伝えたいことや想いなどありますか?
奈穂子: 今彼女らに言いたいのは、親としてと、1人の人間としての二つがあります。親としては、もう本当にごめん、と。他の子だったら味わわなくてよかった苦労をかけました。子供たちそれぞれの2人のお父さんとの別れもあって、もう甘えるだけでよかった子供時代も、妹にご飯作らなきゃいけなかったり、しなくていい思いをさせたし、母親として彼女らには本当苦労かけたね、ごめんね、っていう思いがあります。
もう一つ人間として言いたいことは、自分の思いを持って仕事をする人間に君らもなってほしい。ただお金を稼ぐだけではない仕事の仕方とか、なんでしょうね、人間にとって仕事って、お金はもちろんもらえないと生活はできないけれども、だったら何でもいいってわけじゃない。この世の中に自分が持つ思いとか、関心があることとか、解決したいこととか、見たい理想の世界とか、そういうものに少しでも近づくように自分が働くこと、つまり「自分が見たい世界をつくる」のが仕事だと思うんです。教育業界出身の私は、日本人の若い人たちがもっと自由に自己表現をしながら活躍していく世界、これを見たいので、自分の持てる知識だとか想いだとか、情熱だとか、時間を使って商品開発をしていくわけです。それをやることによっていろんな人が笑顔になっていく。それが私の生きた価値なのかなって。
いろいろ苦労はかけたけど、それでも精一杯の愛情を注ぎながら育ててきたので、今までやってきたことを後悔して恥ずかしく思ったり、やらなきゃよかったみたいなことは一切ない。私の姿を見て、と言いたいかな。
夏実: うわーかっこいいです。きっと理解してると思います。娘さんたちも理解しつつも、やっぱり寂しいっていう気持ちが勝ってしまって言ってしまうんだと思うんです。多分、年を取るにつれて本当に奈穂子さんの想いを身に染みて実感するのではないのかなと思います。
変化する娘たちのマインドセットが、自身の見たい世界へと繋がっていく。
夏実: 今勝負どきである仕事と、フォーカスしてあげたい子供達との時間、どうやりくりされていますか?
奈穂子: 時間のやりくりは下手なので、日中に加えて夜の時間を仕事。諦めたものはテレビを見るとか、本を読むとか、娯楽や自分のための時間かな。ほぼゼロ。知り合いがいるわけでもなかったから、最初の数年ですごく大事にしたのは、ネットワーキング、人間関係を作っていくことでした。企友会や色々なイベントに参加したり。結局犠牲になったのは子供たちとの時間、家族の時間。でも最近は子供たちの怒りが噴出している時期でもあるので、もう少し自分の時間を上手に使うにはどうしたらいいかなと考えています。本当に大事なものだけにフォーカスしていかないとね。
夏実: 奈穂子さんはエネルギーがあるからお仕事もソーシャライズするのもパワフルですが、となると、お家の時間は確かになかなか難しいですよね。
奈穂子: そうね。ちょっと簡単に考えすぎたかな、家を空けるってことを。
夏実: でも子供たちが感情を出してきたのはすごくいいことだと思います。もし感情を出さないまま大人になると、何でも我慢してしまう人になってしまうんですよね。だから今はお母さんとの間にその甘えるスペースができているっていうのが、奈穂子さん自身にもきっと余裕が出てきたのかもしれないですね。今なら甘えられるぞ!みたいな。
奈穂子: なるほどね、それはいいことを聞いた。きっと、少し前までの仕事しか見てない私には彼女らは言えなかったんだよね。実際に、下の子は今までほとんど思ったことを言わなかったんだけど、最近になって言えるようになってきたので。私、北米のカルチャーには本当に感謝していて、日本だと子供達が親以外の大人に心を許して安心して話せるところが身近にほとんどないんですけど、こっちはカウンセラーとかにアクセスできる道筋があって、娘たちもすごくお世話になっているんです。思考の整理だとか感情の出し方、コミュニケーションの仕方みたいなものを学んできてるんじゃないかな。そこから私が学ぶことが多い。私が感情的になったりすると「今は話す時じゃないわ、ママ。ちょっと時間を置いたほうがいい」って、すごいね、大人みたいに。
私は国立大学の職員だったのでそのまま長年働いて、退職金をいただいて生涯を終えるという安定した人生もありました。でも、それをやめてまでこっちに来たのは、私がこの仕事をやりたいという思いがあったのはもちろんなんだけど、カリフォルニアに赴任していた時、上の子がアメリカの学校に転校してその時の彼女の成長が著しかったからと言うのもあったのね。
夏実: どんな風にですか?
奈穂子: 最初はもう本当にただの日本人の子で。ステップファーザーがイギリス人とはいえ彼女は全然英語を喋れなくて。それが英語を話して友達を作り、遊びに行ったり、 最初はもうガタガタだった成績もだんだん盛り返してきて、ちゃんと英語で書けて読めて、物事を考えるようになって、これはすごいなと。その後に日本に帰ってきてから、その体験をもとに英語のスピーチコンテストに出場して、帰国子女枠で優勝したんですよ。
夏実: すごい!
奈穂子: とんでもない場所に連れて行かれた後に、それを克服して自分の世界にできた体験が彼女の自信になったと思います。そもそも、スピーチコンテストで話せたこと自体がすごいし表現力もすごかった。だから北米の教育環境に戻してあげたいという思いでバンクーバーで会社を始めると決めたというのもあるんですよ。
夏実: 奈穂子さん自身も子供たちからいろんな影響を受けながら、一緒に成長されているのですね。
奈穂子: そう。私がこの北米のカルチャーから学んだのは立場によるアンフェアネスがないということ、例えば親の言うことなんだから聞きなさいとか、先生の言うことはなんでも聞かねばならないとか、そういうことがないよね。
夏実: 対等ですもんね、どこでも。
奈穂子: 親でも間違っていれば間違ってると言われるし、理不尽なことを言われても、親だから無条件に聞かなきゃいけないなんていうのは、こっちではないんだなって。私は自分の親に結構理不尽なことを言われて育ってきたんですけれども、自分がされてきたことを娘たちにやろうとすると反発されるんです。最初はそれにウッとくるんだけど、学んでますね。もう彼女たちは日本に戻りたいとは言わないんじゃないかな、残念だけど。
夏実: 奈穂子さん的にはちょっと残念ですか?
奈穂子: 私が連れてきたわけだから、北米に残りたいと思ってくれるのは成功なんですけど。ただ夏実さんもそうだけど、グローバルマインドを手に入れた子たち、世界で活躍できる日本の子たち、が日本に戻らないのであれば、日本は衰退していってしまうんじゃないかな。
せっかく海外に出て何かを掴んだ日本の若者たちが、日本に戻らない選択をしていくのを目の当たりにしていく中で、彼女の内に大きくなる想いについて、後編に続きます。
多田隈夏実 2000年熊本県出身。2019年に地元の高校を卒業後、カナダのバンクーバーにあるブリティッシュコロンビア大学に入学。2023年に同大学の心理学部を卒業後、バンクーバーにある小企業にて総合職として就職。絶賛キャリア育成中!