Est. 1987-企友会(バンクーバー日系ビジネス協会)

Interview

企友会です、インタビューさせてください Vol.9 後編

2023-11-14T20:43:54-08:00

ギャビーアカデミーの代表であるホール奈穂子さん。前編で語られた、揺るぎない理想のもと選択してきた人生と、そんな母親の生き方に付いてきてくれた娘たちのマインドセットの変化。後編ではそれらの全てが彼女の中で「見たい世界」として繋がっていきます。

企友会です、インタビューさせてください Vol.9 後編2023-11-14T20:43:54-08:00

企友会です、インタビューさせてください Vol.9 前編

2023-10-20T01:50:30-07:00

2017年にバンクーバーで創業以降、東京大学との共同開発メソッドを実装したトレーニングシステム「Gabby(ギャビー)」の完成をさせ、6月には世界トップの英語発音評価AIを組み込むなどするギャビーアカデミーの代表であるホール奈穂子さん。息つく間もなく走り続ける彼女がその目で見たいと強く願うものとは?そして自身の仕事と家族への思いを前編・後編に渡って掲載していきます。 インタビュアー 多田隈 夏実

企友会です、インタビューさせてください Vol.9 前編2023-10-20T01:50:30-07:00

企友会です、インタビューさせてください Vol.8 後編

2020-11-11T23:04:17-08:00

訪れる人とカナダを繋げたい、その思いの源泉にあるのは「人を楽しませることを心から楽しめる」自分の強みを発揮できる生き方からくる喜び。 ARA Professional Travel & Support Inc. 代表取締役社長 荒木大輔氏。

企友会です、インタビューさせてください Vol.8 後編2020-11-11T23:04:17-08:00

企友会です、インタビューさせてください Vol.8 前編

2021-06-14T23:55:54-07:00

ARA Professional Travel & Support Inc.   President 荒木 大輔 BUSINESS DATA: ARA Professional Travel & Support Inc. 代表取締役社長 荒木大輔氏。1971年埼玉県出身。専修大学法学部卒業後、1994年ワーキングホリデーで渡加。Fairmont Chateau Lake Louise内のギフトショップで働いた後、1996年Maple Fun Tours・バンフ支店の日本語ガイドに転職。1999年には法人セールスとして名古屋支社へ異動。中部・北陸地区の旅行代理店とのコネクションを作るなど9年間の経験を積んだのち、2008年4月バンクーバー本社へ。セクションマネージャー として約4年勤務。2012年1月、一人ひとりの想いや感動を伝えるカナダ旅行・オリジナルツアーを専門とする ARA Professional Travel & Support を設立。現在では、個人旅行のお客様を中心にダウンタウンを歩くお散歩ツアー、キツラノ食べ歩き、マウントプレザントの壁画インスタツアー等、大手では出来ないユニークなツアーを次々に展開。中でもクラフトビールを飲み歩くパブツアーは、体験談や口コミでカナダ観光局やBC州観光局が一目置く人気ツアーとなる。 https://arapro.ca

企友会です、インタビューさせてください Vol.8 前編2021-06-14T23:55:54-07:00

企友会です、インタビューさせてください Vol.7 ロングインタビュー後編

2020-06-29T20:45:06-07:00

Japan Consulting Corporation / Japadog  President 田村 徳樹 BUSINESS DATA:  Japan Consulting Corporation / Japadog 社長 田村徳樹氏。1974年栃木県小山市出身。青山学院大学経済学部卒業後就職し、携帯電話のI mode広告事業、パソコン教室などの事業で独立を試みる。その後リクルート社に入社。約3年間の営業において好成績を得るも、30歳を目前にし「人生で一番ワクワクすることやろう!」と決断。その時「海外」「屋台」「屋台から果てしなく大きくしていこう!」それを想像されたときはワクワクして眠れなかったとのこと。2005年31歳ワーキングホリデーでバンクーバーへご夫婦で渡加。3か月後、JAPADOGの屋台を立ち上げる。オープンから4年後の2009年2号店そして2010年3号店の屋台をオープン。つづいて初のレストランを Robson st. に構える。2012年ニューヨーク店、2014年にはロサンゼルス店をオープン。サンタモニカピアの桟橋の上、遊園地の前で、絶好調に営業中。現在バンクーバー近郊で、レストラン2店、屋台を10店。そしてアメリカ  カリフォルニアの全13店を直営店で運営。 http://www.japadog.com 人を動かす、そのために。 本田: 田村さんが譲れないことは何ですか? 田村: 譲れないことですか、何だろう。例えば、お客さんに対しての思いとか気持ちを持って接するというのが薄れてきてて、これは本当僕ちょっと許せなくて。ここ半年くらいそういった傾向が見受けられてて、それがやっぱりクレームとかにもつながっていったりしますから。社内でもこれはもう根本的に自分たちの姿勢が間違っているよねって絶対やめようって伝えてます。少しづつですけどジャパドッグのお客さんが増えてきて、それをちょっと当然に思えてしまってたりするシーンもあったりするわけですよ、慣れてきちゃって。だけどやっぱり今のジャパドッグがあるのはずっとお客さんが来てくれてるからだし、僕がカミさんと始めたときも来てくれるお客さんがあって、そういう人が少しずつでも増えてきてくれるから今があって。そう言うお客さんへの思いを分かってほしいなっていうのはすごくあるんです。その思いが全然なくなると商売がつぶれちゃう。そういうのをくどくどと言ったりはしますね。 やっぱりお客さんがあってなんで。

企友会です、インタビューさせてください Vol.7 ロングインタビュー後編2020-06-29T20:45:06-07:00

企友会です、インタビューさせてください Vol.7 ロングインタビュー前編

2021-06-15T00:06:36-07:00

Japan Consulting Corporation / Japadog  President 田村 徳樹 BUSINESS DATA:  Japan Consulting Corporation / Japadog 社長 田村徳樹氏。1974年栃木県小山市出身。青山学院大学経済学部卒業後就職し、携帯電話のI mode広告事業、パソコン教室などの事業で独立を試みる。その後リクルート社に入社。約3年間の営業において好成績を得るも、30歳を目前にし「人生で一番ワクワクすることやろう!」と決断。その時「海外」「屋台」「屋台から果てしなく大きくしていこう!」それを想像されたときはワクワクして眠れなかったとのこと。2005年31歳ワーキングホリデーでバンクーバーへご夫婦で渡加。3か月後、JAPADOGの屋台を立ち上げる。オープンから4年後の2009年2号店そして2010年3号店の屋台をオープン。つづいて初のレストランを Robson st. に構える。2012年ニューヨーク店、2014年にはロサンゼルス店をオープン。サンタモニカピアの桟橋の上、遊園地の前で、絶好調に営業中。現在バンクーバー近郊で、レストラン2店、屋台を10店。そしてアメリカ  カリフォルニアの全13店を直営店で運営。 http://www.japadog.com 幾度もメディアや新聞に取り上げられ「ハリウッドスターも通う店」としてバンクーバーでは誰もが知るJAPADOGの生みの親。その人となりはとても温かな親近感と夢への情熱に溢れている。彼が切り開くその道は後に続く者たちのためにと一線を走り続けるその力はどこからくるのか知りたくてインタビューは始まりました。 Japadogへの軌跡

企友会です、インタビューさせてください Vol.7 ロングインタビュー前編2021-06-15T00:06:36-07:00

企友会です、インタビューさせてください Vol.6

2019-03-14T23:16:50-07:00

Guitarist 中島 有二郎 Profile: 指揮者 大森久雄氏、ジャズギタリスト 高島宏氏に師事。20代は東京を中心にジャズなどを演奏し、テレビ局の音楽制作にも参加。20代後半にブラジル音楽に強く影響を受ける。2005年にバンクーバーに移住後、地元のライブハウス、レストランなどで演奏。バンクーバージャズフェスティバルには自分のリーダーバンドで5回出演し、他の様々な音楽祭でも演奏を行う。日本総領事館が主催するコンサートにも出演し、カナダと日本の文化交流にも貢献。現在はギターとウクレレの講師としても活躍している。 ジャズを中心としたプロギタリストとして成功していた日本を離れ35歳でバンクーバーに移住。ソロギターフェスティバルでブラジルギタリスト代表に2年連続で選ばれ、Jazz Festival などの音楽イベントにも出演、多様な音楽ジャンルのバンドでのライブ演奏に加え、毎年の日本ツアーも行う。これだけの経歴が並ぶと必然的に緊張してしまうのだが、当日待ち合わせ場所となる天井の高い陽が良く差し込む明るいカフェに現れたのは、温かく気取らぬ雰囲気の中島さんでした。 原点にあるのは、枠のない音楽。 下村: さっそくですが、中島さんがギターを始めたきっかけは何ですか? 中島: 親がベートーベンの像も家にあるくらいのクラシックの愛好家で。でも僕はそれがいやだったんだけど(笑)。クラシックが家で流れてたから、当時の僕には友達が家に来たらベートンベンが流れてるってのが恥ずかしくって。だけど、もれて聞こえるクラシックが音楽に関わるきっかけかな。妹と兄貴はピアノをやっててクラシック系の音楽の方へ行ったんだけど、僕はどうしてもそれが嫌でピアノからも逃げてて、中学ではサッカーをしてたんですよ。中1の時に友達のお父さんに連れられて映画館でビートルズのフィルムコンサートを見て、本当に衝撃を受けて、次の日にレコードを買ってビートルズにはまって。そっから始まったって感じ、僕の音楽は。おこずかいは全部レコードを買うのに使って、ビートルズのレコードを全部集めてずっと聞いてた。高1の時にロックギターでバントをはじめたんだよね。こんな感じでロックから音楽に入ったね。僕にとってはビートルズが原点。あのバンドはロックだけじゃないミックスされたハイブリットされた音楽。音楽そのもだけじゃなくて考え方とかも、枠がない音楽が好きになったのもビートルズがきっかけかも。 下村: バンクーバーに来る前は何をされていたのですか? 中島: 日本で音楽活動やってたよ。音楽を教えたり演奏したり、ジャズとかブラジル音楽をしてた。 下村: たくさんの音楽ジャンルがある中でどうしてブラジリアンミュージックを選んだのですか? 中島: ジャンルは色々やるんだけど、はじめは

企友会です、インタビューさせてください Vol.62019-03-14T23:16:50-07:00

企友会です、インタビューさせてください Vol.5 特別企画ロングインタビュー後編

2020-06-21T21:32:52-07:00

Maple Fun Tours Ltd. President ビル 別所 BUSINESS DATA: 戦後ベビーブーマー時代の団塊世代に東京で生まれる。両親は日本人だが、母親はカナダ生まれ20歳までカナダ育ち。息子には日本名の別所和雄とは別にカナダ名のWilliam Kazuo Besshoとも命名する。そんな母親のもと小学3年生の頃には中学英語を習得。東海大学理工学部通信工学卒業後、コンピューター関連の出力装置の販売保守の会社に就職。25歳の時にカナダへ移民。イギリスに本社を置くコンピューター関連会社に務める。その後、旅行関連会社に転職し、ガイド・手配・会計・予約などの部署で活躍され、1981年にMaple Fun Tours Ltd.を設立。カナダ3箇所(バンクーバー・バンフ・トロント)の事務所と日本4箇所(東京・大阪・福岡・札幌)に事務所展開している。2018年にはカナダ・モントリオールにも新事務所の設立を予定。 CITAP(Canadian Inbound Tourism Association - Asia Pacific)元会長としてもカナダのインバウンド業界を牽引。創立38年の今なお果敢に邁進を続けている。 https://www.maplefun.com/canadatours/ ロングインタビュー後編は、ビル別所さんの生き方とその軸に持ち続ける願いとは。 一大事と申すは、今日只今の心なり。 正受老人の「一日暮らし」の教えで、憂うのは昨日でも明日でもなく、人生の中でもっとも大切なのは、今生かされている今日ただいまの自分の心。一日をよく暮らすことは、一生をよく暮らすことになる。

企友会です、インタビューさせてください Vol.5 特別企画ロングインタビュー後編2020-06-21T21:32:52-07:00

企友会です、インタビューさせてください Vol.5 特別企画ロングインタビュー前編

2020-06-21T21:33:56-07:00

Maple Fun Tours Ltd. President ビル 別所 BUSINESS DATA: 戦後ベビーブーマー時代の団塊世代に東京で生まれる。両親は日本人だが、母親はカナダ生まれ20歳までカナダ育ち。息子には日本名の別所和雄とは別にカナダ名のWilliam Kazuo Besshoとも命名する。そんな母親のもと小学3年生の頃には中学英語を習得。東海大学理工学部通信工学卒業後、コンピューター関連の出力装置の販売保守の会社に就職。25歳の時にカナダへ移民。イギリスに本社を置くコンピューター関連会社に務める。その後、旅行関連会社に転職し、ガイド・手配・会計・予約などの部署で活躍され、1981年にMaple Fun Tours Ltd.を設立。カナダ3箇所(バンクーバー・バンフ・トロント)の事務所と日本4箇所(東京・大阪・福岡・札幌)に事務所展開している。2018年にはカナダ・モントリオールにも新事務所の設立を予定。 CITAP(Canadian Inbound Tourism Association - Asia Pacific)元会長としてもカナダのインバウンド業界を牽引。創立38年の今なお果敢に邁進を続けている。 https://www.maplefun.com/canadatours/ 特別企画ロングインタビュー前編は、ビル別所さんを形作る礎、そして彼が全力で守り続けているものへと迫ってみます。 ライブ演奏と人々の楽しげな話し声が響く、モダンで華やかなホテルのロビー。ガラス張りの落ち着いたラウンジの一角で別所さんをお迎えして一息入れた瞬間、蛙が飛び込む音が聞こえてくるような不思議な静寂を味わいながら、今回のインタビューは始まりました。

企友会です、インタビューさせてください Vol.5 特別企画ロングインタビュー前編2020-06-21T21:33:56-07:00

企友会です、インタビューさせてください Vol.4

2019-03-14T23:26:31-07:00

Freedom 55 Financial Financial Security Advisor 澤田 泰代 BUSINESS DATA: 石川県金沢市生まれ。1996年、1年間の英語留学を経て、2000年に再渡加。2004年にSFU (Simon Fraser University) 経営管理学部を卒業後、旅行業等を経て2012年より現職であるFinancial Security Advisor職に就き、個人のリタイヤメントプランや保険のプランニング、法人のグループ保険のプランニングを行う。企友会への参加は2006年より。事務局、副会長などを経て現会長。また、Sakura Days Japan Fairでもコミッティーメンバーとして運営の中心を担う。 大きなガラス窓一面に広がるダウンタウンのビルとその向こうに見える山と青い空のなんとも開放的なオフィスで出迎えてくれたのは、健康的に日焼けした肌に、エレガントなワンピースがとても似合う澤田泰代さん。 やっぱり、「人」って大事じゃないですか。 十九川: 今のお仕事の前はどういったことをしていたんですか。 澤 田: 日本ではバブルが崩壊したころに短大を卒業して、野村證券に入ったんですよ。地元が石川県の金沢市なので、野村證券の金沢支店に一般職として勤めたのが最初です。そこで5年間ほど、一般の個人のお客様の対応をしたり、支店長の秘書を務めたりしていましたね。そのあと、カナダに一年間だけ語学留学にきて、それが1996年のことですね。1年間ESLの学校に通い、一旦日本に帰って東京のヘッドハンティングの会社で3年くらい働きました。なので、もともと金融で人の仕事をしていたのもあって、カナダに戻りSFU(サイモンフレーザー大学)のビジネスで、ヒューマンリソーシーズを専攻して卒業したのが2004年。そこからいくつか仕事をして、今の仕事を始めて5~6年という感じです。

企友会です、インタビューさせてください Vol.42019-03-14T23:26:31-07:00
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