Est. 1987-企友会(バンクーバー日系ビジネス協会)

Interview

企友会です、インタビューさせてください Vol.3

2020-06-21T21:41:10-07:00

King George Nissan / Midway Mazda  Sales Manager ロビー 福島 BUSINESS DATA : 1991年に高校を卒業後、同年に渡米。1995年、Santa Ana Collegeを卒業後、イベントプロデュースをAvexレコード会社のDJ達とB-hallという名で立ち上げる。また、日系ナイトクラブのオーナーのオファーを受け、2店舗のGMとなる。1997年にカナダに移住し、98年 Richmoond Nissanに入社。5年連続販売店トップセールス、10年連続日産カナダAward of Excellence 優秀販売賞を受賞するなど、輝かしい実績を持つ。現在は Midway Mazuda,King George Nissan 両店舗のセールスマネージャーを担当。また、日系祭りのMCを務めるなど、仕事以外の分野でも活躍している。 https://www.midwaymazda.com https://www.kinggeorgenissan.com White RockにあるKIng George

企友会です、インタビューさせてください Vol.32020-06-21T21:41:10-07:00

企友会です、インタビューさせてください Vol.2

2020-06-21T21:42:15-07:00

COCONAMA CHOCOLATE 千綿 孝智・浜本 香代子 BUSINESS DATA:千綿孝智ー1975年福岡生まれ。九州大学大学院卒業後、明治製菓(株)の研究所や工場で商品開発・食品技術者として10年間従事。よりお客様の近くでやりがいを感じる仕事をしたいと思い独立に至る。 浜本香代子ー1976年兵庫生まれ。京都大学大学院を卒業後、同じく明治製菓(株)の研究所や工場にて菓子製法の新技術開発・品質保証・商品開発、カカオ豆の基礎研究と製法開発に従事。また企業のコスト・調達戦略を専門とするコンサルティングファームにてシニアコンサルタントとしても従事。仕事でカカオ農園を訪れたことが人生の転機となる。 2010年9月に渡加し、同年12月にリッチモンドに La Chocolaterie をオープン。2012年に主力商品であるCoconama Chocolateに改名。2015年にはノースバンクーバーに店舗を移し、チョコレート製造販売、チョコレートワークショップなどを行っている。 https://www.coconama.com 夕暮れ時のノースバンクーバー、ココナマと書かれたドアを開けると、そこはチョコレートの香りが広がる工房兼店舗。白い上着を揃えで着た千綿孝智・浜本香代子夫妻が笑顔で迎えてくれました。 お店に入って目に飛び込んで来る美味しそうな色とりどりの生チョコの数々。 チョコレートとの出会い。 大山: まず単刀直入に、お2人の肩書きはパティシエ、ショコラティエどちらなのでしょうか? タカノリさん: どっちでもないと思っているんです。肩書きはあまり気にしていなくて、しいて言うなら「チョコレートエンジニア」「チョコレートサイエンティスト」かな。そういうとみんな笑ってくれるから。

企友会です、インタビューさせてください Vol.22020-06-21T21:42:15-07:00

企友会です、インタビューさせてください Vol.1

2020-06-21T21:43:27-07:00

Blue Tree Management Ltd.  President 岡本 裕明 BUSINESS DATA:1961年東京生まれ。青山学院大学卒業後、青木建設に入社。開発本部、秘書室などを経て1992年同社のバンクーバー大規模住宅開発事業に従事。現地法人社長を経て、2004年同社のバンクーバー不動産事業を買収、開発事業を完成させた。現在マリーナ事業、商業不動産事業、駐車場運営事業などの他、東京で住宅事業などを展開。「外から見る日本、見られる日本人」の人気ブロガーとしても広く知られる。 https://bluetreemanagement.com 「カナダ人をずっと超えてやるって思ってた」人生最大の決断と挑戦。 えりな: 岡本さんの事業買収までの経緯は? 岡 本: 青木建設の社長会長秘書から駐在員として来て不動産開発事業が半ばを過ぎたころ、親会社の突然の倒産をヤフーニュースで嫁から聞かされたのです。その時この先、どうしようか、日本へ帰るか決めなければいけませんでした。僕の実家は洋服店をやっているのですけど、建設会社で不動産事業をやっている男が、実家の女性向け洋服屋には向かないでしょう?それに当時、ダウンタウンではカナダ、香港と我々日本のデベロッパーがそれぞれ競合している中、僕は日本を代表してバンクーバーで頑張っていると信じ、ニッポンが脱落しちゃいけないと思い、テイクオーバーしようと決めたのです。その時、青木の債権者に相談したら1ヶ月で買収するか決めろと言われました。その間に買収金額を交渉して自力資金調達し、バンクーバーで事業を引き続きすることになりました。 えりな: 何がその時一番辛かったですか? 岡 本: この買収話は僕だけの話で他の人に相談できなかったので、一人ですべてをやらなきゃいけなかったのが辛かったですね。嫁にも話せなかった。本当に辛かった! えりな: 本当に行き詰まった時、岡本さんは何をしていますか? 岡 本: 寝る!ひたすら寝る えりな: バンクーバーで頑張ると決めた理由は? 岡 本: 僕は駐在員として来たので、バンクーバーを自分で選んで来たわけじゃないのです。当時若かったし、下手くそな英語の日本人という小馬鹿にされた目線で、ビジネスルールも何もわからない若造がと思われていて、すごく悔しかったのですよね。だからカナダ人を負かしてやろうと、カナダ人を超えてやるってずっと思っていました。だからカナダに残るという決断をしたのです。

企友会です、インタビューさせてください Vol.12020-06-21T21:43:27-07:00
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