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理事コラム:キャリア42年の新人|村上奈恵子
今回は、42年間企業で活躍されてきた企友会理事・村上奈恵子(ナンシー)さんが、キャリアの振り返りとともに、理事としての新たな挑戦について綴ってくださいました。世代を超えて学び合える企友会の魅力が、あたたかくユーモラスな語り口で描かれています。
保険業界一筋、42年のキャリア
企友会の理事をしております村上奈恵子(通称ナンシー)です。
1983年に日本で就職してからはや42年。いくつかの会社で勤務して来ましたが42年間ずっと変わらず「しがないサラリーウーマン」です(笑)。1988年に仕事でトロントに来て、1992年にバンクーバーで日本の保険会社に就職してからは保険屋一筋で33年になりました。
「誰かの役に立てたのか」…リタイア目前の思索
リタイアメント生活(定年という制度そのものはカナダには存在しませんが)が近くなり、最近自分の来し方を振り返る事が多くなりました。
自分は何か世の中のお役に立てて来たのだろうか、と。保険屋としてはそれなりに日系企業の皆様の事業を陰ながらお支えして来た自負はあります。忙しく稼働する日系の工場や、立派な建築物、繁盛しているレストランやお店を見るにつけ、その陰で、決して表舞台に立たない縁の下の力持ちとして皆様の成功をお支えして来たという誇りを感じますし、一種の感慨さえ覚えます。
でも、それはとりもなおさず、日系の皆さんのそれらのビジネスが、私が勤務して来た会社を、そして私や家族の生活をも支えて下さったという事だとも思うのです。
ボーリング大会から始まった理事への道
一昨年関係会社に転出し、一時期ほど忙しくなくなった今、まだ自分にも何かできる事があるのではないかしらと思っていたところへ、昨年秋に参加した企友会のボーリング大会で会長の白石さんから理事へのお誘いを頂きました。
長年お世話になってきた日系コミュニティーに少しでもご恩返しできたら、という気持ちでお引き受けし、今年の1月に入会、3月の総会で理事を拝命ました。
という訳でキャリア42年の企友会新人理事でございます。
若者文化に戸惑いながらも
企友会は理事として参加してみると、様々なイベントやアクティビティああり、担当理事やボランティアの方たちが大変アクティブに活動されている事がわかりました。私もいきなり大規模講演会の担当をする事になり、皆さんに助けて頂きながら見よう見まねで、何とか無事にイベントを終える事ができました。
企友会に入って一番良かった事は、若い世代の方たちの考えや生き方や仕事の仕方に触れる事ができるようになったことかな。ボランティアの学生さんたちのお話しなどを伺っていても、今の若者はしっかりしてるな~、と感心する事しきりです。私が彼らの年齢の時は世の中の事も自分の将来も何もわからず、深く考えず、ただ目の前にあるものを一生懸命こなすだけでした。
今の方たちは世界の政治情勢や環境問題など様々なことに関心があり、そして他人事ではなく自分はなにができるのだろう、どの分野に携わって行きたいのだろう、とちゃんと考えていらっしゃる方が多いように思います。
脳の活性化にもなる新しい挑戦
そして理事の方たちが使っている、Slack。そもそも、え、Slackってなに?っていう感じでまさにおばあちゃんのパソコン教室です。Google FormもGoogle Docもわからないなりに若い理事の方たちに「Help!」を連発しながら少しずつ慣れて来ました。
ですので、企友会が私の脳の活性化や老化防止に役立っている事は疑いの余地もないのですが、私が企友会や日系コミュニティーの皆さんのお役に立っているか、またそういう日は来るのかについてはまだまだ未知数です。
理事の皆様、会員の皆様、日系コミュニティーの皆様、どうぞ長い目で温かく見守って頂ければ幸いです。沢山の方にいろいろなイベントでお会いできるのを楽しみにしています。
ライター情報
村上奈恵子(企友会理事)
1988年、トロントの日本コロムビアの社長アシスタントとして単身渡加。1992年から東京海上日動火災バンクーバー支店に勤務。当初の1名体制から4名体制まで成長を見届けた後2023年に東京海上の新現地法人Tokio Marine Canada Ltd. に転籍。バンクーバーのダウンタウンで夫と娘と犬との3.5人暮らし。趣味はゴルフと友達との飲み会と家でだら~っと日本のドラマを見ること。血液型:絶対にO型にしか見えないとよく言われるA型。
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